東京パラリンピック、ボッチャの杉村英孝(すぎむら ひでたか)選手が、日本人初の金メダルリストとなり話題になっていますね!
ボッチャは、重度脳性麻痺者や重度機能障がい者のために生まれたパラリンピックの公式スポーツです。
そんな日本ボッチャ界のベテランとして活躍し続ける、杉村英孝選手はどんな生い立ちで育ったのか気になります。
今回は、杉村英孝選手の生い立ちやボッチャを始めたきっかについてまとめてみました!
ご両親についても調査していますので、是非ご覧ください。
杉村英孝の生い立ちは?
出典:Twitter
杉村英孝選手は、1982年3月1日静岡県伊東市に生まれました。
現在の年齢は39歳。(2021年9月時点)
先天性の脳性麻痺で両手足とも自由自在に動かせるわけではありません。
その為杉村英孝選手は、小学校1年生の頃から高校卒業の18歳まで静岡県立中央特別支援学校に通っていました。
静岡県立中央特別支援学校は、静岡県立こども病院や静岡てんかん・神経医療センターと隣接していて、寄宿舎もあります。
毎日新聞によると、杉村英孝選手は『静岡市の医療施設で過ごしてきた』と記載されていますので、おそらく学生時代は寄宿舎で生活をしていたと思われます。
角替(つのがえ)一孝さん(39)と深津和道さん(36)と杉村選手の3人。3人は同じ施設で一緒に過ごしてきた親友だ。
施設には小学1年から入り、自宅に戻るのは土日、正月、お盆の時期だけ。
18歳になると、施設を出る。メンバーの家は県内ばらばら。引用元:毎日新聞
杉村英孝選手は、家族と離れ施設で過ごす時間の方が多かったようですね。
幼い頃は寂しい思いもされていたと思いますが、施設で出会った先生や仲間の存在によって現在の自分があると言います。
そして施設を出た翌年、19歳の頃から本格的にボッチャを開始。
その後は、伊豆介護センターに務めながらボッチャの練習に励む日々を送られています。
杉村英孝がボッチャを始めたきっかけは?
出典:Twitter
杉村英孝選手が、ボッチャに出会ったのは高校3年生の頃。(当時18歳)
そして本格的に競技を始めたのは2001年からです。(当時19歳)
静岡県内で初めてボッチャの大会が開かれることになり、18歳まで入所していた医療施設の指導員から声がかかったことがきっかけだったそう。
この大会では、同じ施設で過ごしてきた親友達とチームを組んで参加。
わずかなトレーニング期間だったにも関わらず、団体3位という好成績を収めました。
しかし杉村英孝選手は、うれしさ以上に悔しさを感じ、ここから本格的にボッチャに打ち込もうと心に決めたそうです。
出典:Olympic
その後、杉村英孝選手は徐々に頭角を現していき日本選手権では5回優勝という素晴らしい実績を残しています。
更にパラリンピック2012年ロンドン大会と、2016年リオデジャネイロ大会では団体戦で主将を務め、リオでは銀メダルを獲得。
学生時代は、車椅子サッカーに打ち込んでいたという杉村英孝選手ですので、元々運動神経とセンスが良かったのかも知れませんね。
正確なコントロールを持ち味とする、杉村英孝選手のボッチャ歴は20年以上。
日本のボッチャ界を引っ張る存在としてこれからも活躍していって欲しいですね!
杉村英孝の両親についても調査
出典:Twitter
杉村英孝選手のご両親について調べてみましたが、現時点で情報は見つかりませんでした。
ですが以前インタビューで、『家族に感謝』という言葉を使われていますので、杉村英孝選手の活躍を誰よりも応援しているのではないでしょうか。
『競技優先の生活に理解を示してくれる勤務先や家族に感謝しつつ、今は大会に集中する。』
引用元:静岡新聞
東京パラリンピックでメダル獲得後には、もしかすると家族についても語られる事があるかも知れません。
ご両親の最新情報は分かり次第追記させていただきます。
今回の東京パラリンピックを通して、ボッチャという競技がもっと広がっていくといいですね!
これからも杉村英孝選手を応援していきたいと思います。